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NEWS2026.08.28
保護中: 柴内裕子先生の記事が Forbes Japan公式サイトに掲載されました
こうべ動物共生センターのセラピー研究フィールドアドバイザーとして、事業へのアドバイスをいただいている、柴内裕子先生(赤坂動物病院 名誉院長)の記事が Forbes JAPAN 公式サイトに掲載されています。
戦争の犠牲になった愛犬たち、悔恨胸に人と動物が幸せに暮らす社会を追い求める女性獣医師の戦後80年
記事サイト:https://forbesjapan.com/articles/detail/82152
WOMEN 2025.09.18 15:15
ライター:西岡真由美 ノンフィクションライター/獣医師(Forbes JAPAN オフィシャルコラムニスト)
西岡真由美氏のコラム 連載:獣医師が考える「人間と動物のつながり」
https://forbesjapan.com/author/detail/1426
ご一読ください
戦争の犠牲になった愛犬たち、悔恨胸に人と動物が幸せに暮らす社会を追
い求める女性獣医師の戦後80年

赤坂動物病院名営院長の柴内裕子さんと愛犬の豆乃(まめの)
戦争で命を奪われたのは、人間だけではない。家族同然に大切にされてきた動物たちが、起こっていることも理解できないまま、理不尽に死に追いやられていった。その悔しさとつらい経験から得た教訓を胸に、戦後、人と動物がともに幸せに暮らしていける社会の実現に向けて尽力されてきた女性がいる。国内初の女性獣医師となり、今なお現役で活躍を続ける、赤坂動物病院 名誉院長の柴内裕子さん(90)だ。
獣医師が、軍馬や食料生産のための家畜を診る職業であった時代に、家庭の中で人間とともに暮らす動物たちにいち早く目を向けた柴内さん。激動の時代、自ら社会に変化の波を起こし、人生を切り拓いてきた柴内さんを突き動かしてきたものとは何か。そして、柴内さんが考える「これからの人と動物がともに生きるかたち」について、戦後80年の節目を迎えた今、お話を伺った。
| 人を信じ、揺れていた尻尾
1945年、この年を柴内さんは日本が「終戦ではなく、敗戦した年」だと強調する。太平洋戦争のただ中、目にしてきた光景を思うと、終わったという言葉では言い尽くせない、それは惨めなものだった。
柴内さん一家は戦前から、東京代々木にある木々に囲まれた屋敷で暮らしていた。柴内さんはそこで、武家に出自を持つ母から厳しく育てられた日々を、鮮明に覚えていると話す。
「小学校に入ると私たち兄弟は毎日、上半身裸で庭の木のてっぺんまで登って、明治天皇の御製(和歌や詩文)を斉唱し、百を数えるまで降りてはいけませんでした。これを冬も夏も続けていたのです。大変でしたが、心身の鍛練につながりました」
また、一家は全員が無類の動物好きで、犬や猫をはじめ、アヒルに鶏、鳩、モルモットなど、多くの動物たちと暮らしていた。さらに屋敷には、書生や女中見習いの女性も身を寄せており、幼い柴内さんは、彼らが「この家は住みやすいが、動物の世話だけは大変だ」とぼやくのを耳にしていたという。

5歳の柴内さん(右から2番目)。8人兄弟の3女として育った
そんな賑やかで幸せな生活は、戦況の悪化により一変する。柴内さんは一時、姉とともに静岡県への学童疎開を余儀なくされたが、間もなくそれを中断して代々木の自宅へ戻ってきた。その時の体験は、忘れることができない。東京に降り注いだ焼夷弾の雨は、人や動物に多くの犠牲を出した。柴内さんは、沈痛な面持ちで振り返る。
「1945年3月の空襲による隣家からの延焼で、庭にあった鳥小屋や犬小屋が焼け落ちました。大事にしていたチャボがいたのですが、3羽のヒナを抱いたまま丸焼けになっていました。それを見た時は、情けない気持ちでいっぱいになりました」
さらに、痛ましい出来事は続いた。ある日突然、軍のトラックがやって来て、柴内さん一家が可愛がっていたシェパードのアルとポインターのピースに紐をつけ、荷台に放り込んだのだ。
「愛犬たちを、軍へ供出させられたのです。私たち家族は、何の抵抗もいい訳もできない状態で、2頭をただ見送るしかありませんでした。アルの尻尾が檻の外にはみ出し、揺れていたのを覚えています。
当時、連れて行かれた犬たちは、戦地で兵隊さんのお役に立つのだと聞かされていましたが、多くは違っていました。一般家庭の犬が、戦地ですぐに役に立つはずがありません。後になって知ったことですが、実際には河原などで撲殺され、皮は防寒着に、肉は缶詰にされていたそうです」
祖母の姿も脳裏に焼きついた。当時はまだ犬や猫を診る動物病院はなく、診療の対象となるのは、牛や豚などの家畜だった。また、獣医師は男性ばかりで、軍馬の管理や衛生隊員として徴兵されていた。そんな中で祖母は病気の老犬を抱え、何とか診てくれる獣医師はいないかと、懸命に町を探し回っていた。
その時、柴内さんには、その後の人生を決めるある想いが芽生えた。
「一人でも女性の獣医師がいれば、戦争に行かず、人とともに暮らす身近な動物たちの面倒を見てもらえるのではないか」
それを自分の将来にすると決めたのは、10歳、小学4年生の時だった。
| 高校を3日で退学、一途に己が道を行く
戦後、社会に混乱と希望が交錯する中、柴内さんは夢の道筋を描き始めた。その頃、女性である柴内さんが獣医師となり、家庭の動物を中心に診療していくことは、道なき道を切り拓いていくことを意味していた。柴内さんは学生時代からその素地を培おうと、さまざまな行動を起こしていく。
中には、一途に己が道を突き進む柴内さんの人柄を象徴するエピソードがある。柴内さんは中学卒業後、都立高校に進学したが、入学からわずか3日後に休学を申し出た。その理由を、次のように明かす。
「幼い頃から、母の勧めで偉人伝をよく読んでいました。立派な成功を収めた人たちは皆、他人の苦労、使用人の苦労というものをよく理解されている。私もいつか親元を離れ、奉公に出るなど、他人のご飯を食べる経験をしなければならないと思っていました。けれど、このまま進学を続けると、そのタイミングを逃すことになると思ったのです」
柴内さんは苦い顔をする両親を説得し、結局、計り菓子の商家に1年間住み込みで働いた。願い出た休学は叶わず、一度退学することになったが、その後、再試験を受けて高校に戻ると、卒業後は日本大学の農獣医学部(現、生物資源科学部)に進学した。
獣医師への道を一歩踏み出した柴内さんだったが、当時、学部内で唯一の女子学生であったことから、常に注目を浴びる存在となる。またキャンパス内には、女子学生向けの設備がまるでなかった。そのため女子トイレの設置を求めて働きかけるなど、できることは何でも行いながら、環境に怯むことなく学業に励んだ。在籍中に迎えた獣医学科設立50周年の記念行事では、実行委員の一人として馬術大会の企画から広報、運営までを担ったという。
「友人に恵まれ、やりたいことをやりたいだけやった大学時代でした」

大学2年の時、騎乗する柴内さん
その後、柴内さんは大学に残り、家畜病院の研究員と放射線助手を経て、後に夫となる獣医師の柴内一郎氏が設営した赤坂獣医科(現・赤坂動物病院)を受け継いだ。そこで、念願の人とともに暮らす身近な動物たちの診療をスタートさせた。柴内さんが27歳の時だった。その後、娘の晶子さんが生まれたが、「医療は命を預かること。預かった以上は、目を離さずにいられる体制を維持しなくてはならない」という信念のもと、昼夜を問わず動物医療に打ち込んだ。
夜中に急患があると、柴内さんはまだ幼かった晶子さんを毛布にくるみ、近くに住む母に預け、診療に向かった。そんな晶子さんも、今では獣医師となり、同院の院長を務めている。柴内さんにとって、最良の理解者だ。
| アメリカで目にした衝撃の光景
柴内さんは、臨床獣医師としてキャリアを積む一方で、家庭の動物たちの待遇を改善したいという思いに駆られるようになった。戦後も長きにわたり、日本の家庭犬の多くは庭につながれたまま、防犯のために吠えることを主な役割として過ごしていた。それは炎天下でも冬の寒空の下でも変わらなかった。予防薬がまだ普及していなかったフィラリア症(蚊の媒介する寄生虫症で、心臓や血管に寄生し、循環障害を起こす)も蔓延しており、当時の犬の寿命は今よりもずっと短かった。

そんな中、柴内さんは、1978年に日本の動物医療の発展を目指して設立されたばかりの日本動物病院協会へ入会。ほどなく研修と学会で訪れた米国で目にした光景に衝撃を受け、感激したという。
犬たちは飼い主とともにレストランやホテルに出入りし、獣医学生は愛犬とともに授業を受けていた。さらにデンバーの病院では、セラピー犬が小児病棟を訪れる活動まで展開していた。日本の何歩も先を行くアメリカでの人と動物の関係に、柴内さんは大きく心を揺り動かされた。
「日本もこれに近づけなければならない。動物たちを幸せにするためには
| 動物が人を癒やし、生きる力になる活動
その思いは、柴内さんをある活動へと向かわせる。その後、日本動物病院協会の第4代会長に就任した柴内さんは1986年、同協会で人と動物のふれあい活動「CAPP:Companion Animal Partnership Program」をスタートさせた。
CAPPは一般的に、「アニマルセラピー(※)」とも呼ばれる。高齢者施設や病院、学校などで、動物の持つ温もりや優しさに触れる機会をつくり、さまざまな効果を生み出す。医療現場では、補助療法として取り入れられることもある他、小学校などでは、子どもたちに動物たちとの正しいふれあい方や、命の大切さを学ぶ貴重な時間を提供している。犬や猫をはじめとする動物たちと、その飼い主がボランティアとして参加するほか、獣医師や動物看護師、経験を積んだボランティアのリーダーが、人と動物、双方の安全確保と衛生面、しつけの管理を担う。

CAPPで小学校を訪問。子どもたちは真剣に耳を傾けていた
しかし、当初は動物たちを伴う訪問について、未経験の受け入れ先から、アレルギーや事故に関する懸念の声があがることが予想された。そこで柴内さんはそうした事態に備えて、日本動物病院協会の信頼性を向上するために、公的な資格である公益社団法人の認可を求めて、厚生省 (現・厚生労働省)へ何度も働きかけた。
認可まで時間を要する中で、海外の動向を熟知した厚生省の担当官から紹介を受け、山形県の高齢者施設「みこころの里」を尋ねてみると、そこには運命的な出会いがあった。施設長の飼い犬で、ビューティーという名前のコリー犬が、入居する高齢者とふれあいを楽しみながら、お互いに生き生きと暮らしていた。
CAPPが目指す姿の一端を垣間見た柴内さんは、厚生省への説得を粘り強く続け、ようやく公益社団法人の認可を得ることに成功した。そんなCAPPの訪問も、現在までに約2万4000回に上る。心配された事故やアレルギーの発生もなく、実績を積み上げている。
「本気になって取り組んでくれた全国の獣医師の先生方と、素晴らしいボランティアの皆さん、そして何より、最大の働きをしてくれる犬や猫たちのおかげです。人間がきちんと管理すれば、たくさんの動物たちに活躍の機会が生まれます」

「みこころの里」でマクドナ施設長と施設長の愛犬ビューティーと
またCAPPでは、犬たちが上手にできたことを褒めて育てる「陽性強化法」を全国に普及していった。
「かつては叩かれたり、庭で放ったらかしにされていた犬たちが〝お利口、お利口”と褒められながら、人と一緒に暮らせるようになりました。本当に素晴らしいことだと思います」と柴内さん。長年にわたる活動の軌跡に胸を張る。
| 90歳願いを込めて歩み続ける
柴内さんは、間もなく90歳を迎える。そして今も、動物たちが社会の一員として受け入れられ、活躍できる場を広げるために、いくつもの取り組みへ情熱を注いでいる。それが人と動物のより良い関係を築き、動物たちを幸せにする方法だと信じているからだ。
「時代が進めば進むほど、動物たち、中でも犬たちの仕事は増えていくと思います。人口減少などの社会課題があり、人間同士の助け合いが減っていく中、そこを埋めてくれる存在として、動物たちがさらに求められていく。それを動物医療や社会がどんな風に支えて行けるかで、大きな違いが生まれるでしょう」
例えば、日本ヘルスケア協会が推進する「ペットパスポートプロジェクト」も、柴内さんが注力する活動の一つだ。医療的なチェックとしつけの基準を満たした犬たちが、加盟飲食店や施設へ入ることのできるしくみの整備を進めている。その中で、散歩中の犬の排泄物はすべてペットシーツで受けるように啓発するなど、動物たちが社会の中で、嫌われることなく、好ましい存在となるためにも気を配る。
さらにCAPPでは、人を対象とした訪問診療や訪問看護に動物たちが同行する試みも始まっている。動物がいることで緊張がほぐれ、和んだ雰囲気の中で診察や治療が進められるようになる。他にも、人の作業療法を犬たちが手伝うしくみも構築中だ。
「ボールを投げる作業療法では、3回投げれば面倒くさくなるという方も、ワンちゃんがボールを取ってきてくれるなら、もっと投げようという気持ちになります。こうした活動を、生きている間にしっかりと、省庁の公認にしておかなければならないと思っています」

東京都清瀬市の信愛報恩会信愛病院では、適性を認められたセラピードッグとの作業療法プログラムを先行的に開始している(写真は2010年頃の様子)
柴内さんは「犬や猫は、人類にやさしさを忘れさせないために来てくれた存在」だとくり返し語る。私たちはそんな存在を、無慈悲に犠牲にできる世の中をくり返してはならない。やさしい心を喚起する動物たちと人々がふれあい続けるチャンスを絶やすことなく、次の世代に引き継いでいきたいと柴内さんは願う。
「何かをやろうとした時には、いつも素晴らしい人たちが傍にいて、支えてくれました。願いを込めて人生を進むことが、何より大事なのだと思います」
人と動物たちの幸せのために、柴内さんの挑戦はこれからも続く。

柴内 裕子(しばない ひろこ)◎1935年生まれ。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。大学附属家畜病院の研究員、放射線研究室の助手を経て、1963年に赤坂獣医科病院(現赤坂動物病院)を継承し、現在は名誉院長。1986年、日本動物病院協会の第4代会長として、人と動物のふれあい活動 CAPP(Companion Animal Partnership Program)を日本で初めてスタートさせる。以降、長年にわたり小学校、高齢者施設、病院への訪問活動を実践している。受賞歴、著書多数。
※アニマルセラピー:米国のデルタ協会(現ペットパートナーズ)を中心に、欧米各国で、ヒューマン・アニマル・ボンド(人と動物の絆)の理念に基づく活動や研究が行われてきた。その中で、人類と長い歴史をともに歩み、支え続けてくれた犬や猫を中心とする、健康で、学習のできた家族の一員を伴って、訪問するボランティア活動として始まった。