ワークショップⅦ 「多様な対応が求められる動物医療」

「多様な対応が求められる動物医療」
ワークショップ主催者挨拶:社団法人日本獣医師会

 獣医師に対する社会の認識は、時代や地域によって大きく異なる。ただ、どの時代、どの地域においても獣医師の役割は非常に重要であると考える。
 日本の動物医療の歴史において、社会への貢献という観点に立つと家庭動物医療が評価を受けるようになったのは近年のことである。
 社会が獣医師に求めた役割の変遷を振り返ると、20世紀初頭から前半にかけては軍馬の管理等が獣医師の大きな役割であった。
 そして、戦後の混乱期から復興期にかけて、食料生産と確保、とくに国民への動物性蛋白の供給という点で「畜産振興への寄与=獣医師の社会貢献」という図式が成立していた。 昭和の中期から平成の時代にかけては、医薬品、衣料品他化学製品の開発や研究、さらに遺伝子研究が進み、それら多くの研究への関与、そして、人と動物との共通感染症の予防と管理や食品衛生管理といった公衆衛生業務など、人の生活や健康に直接関わる任務が獣医師にとって重要なものとして加わってきた。
 また、近年では地球環境保全問題における大きなテーマである野生動物への対応、少子高齢化社会における家庭動物の位置づけの変化とそれに対する多様な対応が求められるようになってきている。
しかし、獣医師の役割が社会に明確に認識されているかを考える上で、動物に関わる多くのことを「獣医療」という言葉で大雑把に捉えていることが、かえって獣医師の具体的な役割を社会に伝えづらくしていると思われる。 
 このワークショップでは、敢えて「獣医療」を「動物医療」と表記し、野生動物分野における動物医療の在り方と意義、公衆衛生分野における獣医師の役割、「産業動物医療」と「家庭動物医療」における獣医師の役割についてそれぞれを担ってきた獣医師から現状の報告を受け、今後の対応を考えてみる。

座長メッセージ/発表趣旨


細井戸大成氏
社団法人日本獣医師会(JVMA) 理事
株式会社 VR ENGINE 代表取締役

家庭動物医療の現状と今後
 ~家族から社会の一員となった家庭動物への対応~

 近年、ペットが「家族の一員」「社会の一員」と認識されるようになり、そのペットに対する適切かつ良質な家庭動物医療の提供が強く求められるようになってきた。
その背景には、経済的な成熟を経験し、少子高齢化に向かう日本社会の暮らしの中で、多くの人々が動物とのふれあいの中に、心のやすらぎを求めるようになったことが大きいと思われる。
人と動物がふれあうことによって生まれる相互の精神的、肉体的な関わりのことを“ヒューマン・アニマル・ボンド”(Human Animal Bond:人と動物の絆)と呼んでいるが、1970年代より米国のデルタ協会が中心となって、この相互作用を科学的に調査、研究し、それらの効果を広く社会に普及啓発してきた。我が国でもこのHABを大切にするという理念が、獣医師や動物医療関係者ばかりでなく、ヒトの医療関係者、福祉関係者、教育関係者、そして動物飼育者をはじめ社会の多くの人々の間に広がってきている。
 そして、飼育者や社会の認識の中で、ペットが愛玩動物から伴侶動物、そして家庭動物へと変化してきた今、家庭動物医療に対してより多様な対応が求められている。このように多様化する要望に応えるべく、組織的な対応として、各地方獣医師会に所属する獣医師が中心となって、全国各地に「夜間救急診療システム」や「飼育者・ホームドクター・二次診療施設の3者連携による紹介診療システム」が構築されるようになってきた。
 また、家庭動物医療を担う獣医師や動物看護師が、病気の治療、予防、定期健診による慢性疾患の早期発見と管理以外にも、家庭動物が「社会の一員」として、地域社会に溶け込み、幸せに暮らせるように、飼育者に対してしつけやマナーを守ることの重要性を普及啓発するなど、共生社会支援に関する役割を果たしていくも今後、ますます重要になると考える。
 すばらしい「人と動物と自然との共生社会」実現こそがこれからの社会に求められる大きな命題であり、まず、身近な家庭動物達が「社会の一員」として多くの人々に認められるように飼育者、関係者と共に全力をあげたいと思う。

「生態系の健康を守るための動物医療」
羽山 伸一/日本獣医生命科学大学 獣医学部獣医学科 野生動物学教室 準教授




  近代化以降、人間と野生動物との関わりに大きな変化が生じ、大きな社会問題となっている。例えば、野生動物による農林水産業や人身への被害、外来動物による生態系影響、新興感染症の媒介など、年々、多様化かつ深刻化している。しかし、その一方で多くの野生動物が人間の影響で絶滅に瀕しており、その割合や絶滅のスピードは、地球の生命史上未曾有のものとなっている。
こうした一連の問題群を、演者は「野生動物問題」と呼び、人間が緊急に解決すべき地球環境問題の重要なテーマであることを指摘してきた。これらは人間自身の問題であるため、その解決には人間社会の変革が必要であり、同時に野生動物をはじめとする生物学的な深い知識と技術を持った専門家が求められる。
  国民はこのような専門家として、あらゆる動物に対応している獣医師などの動物医療者に大きな期待を寄せており、その問題解決は動物医療者の社会的責務と位置づけられる。これらの社会的要請に応えるべく、日本獣医師会では2001年に野生動物対策委員会を設置し、獣医師が果たすべき役割や制度改革の方向性などを示してきた。
本講演では、これらの議論をふまえ、野生動物問題の解決に挑んでいる取り組みを紹介し、あらゆる立場の動物医療者が野生動物問題へ関わることの意義を語りたい。


行政‥特に公衆衛生分野における獣医師
杉原 未規夫 /兵庫県健康福祉部 生活消費局 生活衛生課動物衛生係 課長補佐兼動物衛生係長

 行政における獣医師は大きく分けて、農林分野と公衆衛生分野に従事しています。私が従事しています公衆衛生分野には、兵庫県職員として134名の獣医師がいます。
公衆衛生分野に獣医師が従事していることにイメージがわかない方は数多くおられることと思いますが、その分野は多岐にわたっています。
公衆衛生獣医師の勤務先としては、保健所(健康福祉事務所)、食肉衛生検査センター、動物愛護センター、健康生活科学研究所などがあります。
保健所では、食品衛生分野、環境衛生分野などを主に担当しており、食品関係施設への立入指導行うとともに、食中毒の発生防止や発生時の再発防止策に従事しています。環境衛生分野では、理・美容所、旅館等営業施設に対する立入指導を行い、衛生的措置に係る指導等を行っています。食肉衛生検査センターでは、安全で安心な食肉、食鳥肉を提供するため、検査員として検査業務に従事しています。また、動物愛護センターでは、ペット動物の愛護とともに、人への侵害防止の観点から業務を実施しており、ペットショップ等への立入指導にも従事しています。健康生活科学研究所では、ウィルス、細菌等の各種検査・研究を行っています。
さらに、このほどの東北大震災に対し、兵庫県では福島県動物救護本部の活動を支援するため、多くの動物愛護センターの獣医師職員が派遣されました。
以上のように、公衆衛生獣医師は、県民の皆様の身近なところで、安全で安心な暮らしができるよう、多岐に渡る分野で獣医師としての知識と経験に基づき携わっています。


産業動物診療獣医師に求められている主な役割
横尾  彰 /全国農業共済協会 企画研修部 次長

 本ワークショップでは、「多様な対応が求められる動物医療」について、産業動物関係のお話をさせていただきますが、現在、産業動物診療獣医師に求められている主な役割は下表のとおりです。診療獣医師ですからもちろん家畜の診療が中心となりますが、酪農・畜産という食料生産現場を預かっていることから、求められる役割も近年ますます大きなものとなっております。
 BSE・口蹄疫の発生や残留医薬品・残留農薬のポジティブリスト制への移行に伴い、畜産食品の安全性を生産現場から担保する獣医師の役割はますます重要となっています。これは、動物用医薬品の適切な使用については、現場の第一線で働く産業動物診療獣医師にしかできないからであり、また、畜主(生産者)に対して、動物用医薬品の休薬期間や使用禁止期間についての情報提供を適切に行うことで安全な生産物を出荷することが可能となるからです。

表 産業動物診療獣医師に求められている主な役割

役割 内容
畜産経営の安定 家畜の診療・疾病予防、経営相談、後継者対策
従業員教育、関係団体との協力
自給飼料の増産支援
安全で良質な畜産物の安定供給 適切な薬剤の使用
休薬期間の遵守(ポジティブリスト制)
 人と動物の共通感染症防止 異常家畜の早期発見と適切な対応
関係機関、畜主への情報提供
 新興再興感染症の監視  口蹄疫、トリインフルエンザなど現場で起こる異常の発見と
関係機関への情報提供

さらに人と動物の共通感染症の多くが産業動物に由来するものとも言われており、日常的に産業動物を診療する獣医師の役割は重要です。
 また、口蹄疫やBSEをはじめとする家畜の法定伝染病や届出伝染病などの監視伝染病への対応については、現場の第一線で働く産業動物獣医師が発見し家畜保健衛生所に通報することが、その対策への第一歩となっています。