義犬華丸 供養祭(363回忌)出席のご報告
2013年5月、素晴らしい天気の日曜日に、義犬華丸(はなまる)の363回忌の法要が行われるということで、長崎県大村市の萬歳山 本経寺へ伺いました。
義犬・華丸(はなまる)は、大村藩の家老で漢学者でもあられた小佐々市右衛門前親(あきちか)の愛犬であり、犬種は狆だったそうです。大村藩主 純信が江戸表で32歳の若さで急逝したとき、3歳で主君となった純信の傅役(もりやく)を務めていた前親は、本経寺で追腹し、殉死されます。その火葬の時、華丸は、火に飛び込み亡くなったのだそうです。
当時の人達は、華丸の主人を思う気持ちを悼み、前親の隣にお墓を建て供養されました。記録によれば、これが、日本最古の犬の墓とのことです。
お墓の高さは、90センチで、132文字の漢文の追悼文が刻まれ、前親と華丸の絆の深さが偲ばれます。まさに、ヒューマンアニマルボンドが、江戸時代にも存在していたのでした。
この前親の子孫に当たられるのが、日本獣医史学会理事長 小佐々学先生とお姉様の赤坂動物病院院長 柴内裕子先生です。本当に不思議なご縁を感じます。当日は、J-HANBS 会長の加藤元先生もご列席されました。
大村家は、日本最初のキリシタン大名として知られていますが、初代藩主喜前の時、加藤清正の勧めで日蓮宗 本経寺を建立します。現在、本経寺は、キリスト教から仏教へ転換した江戸時代の宗教政策を表す文化財として国指定の史跡となっており、主君 純信の6メートルもある墓碑の傍に、前親と華丸のお墓が並んでいます。
本経寺ご住職 佐古亮景様により、ご供養が執り行われ、長崎県獣医師会会長 池尾先生、大村の獣医師 堤先生、神近先生等が参列されました。
この小佐々家には、もう一方著名な歴史上の人物がおられます。天正遣欧少年使節−日本人初の公式使節としてローマ法王やスペイン国王に謁見したーの4人の少年のひとり、中浦ジュリアンです。使節に選ばれた4人の少年は、日本が国を閉じて行く課程で、数奇な運命を背負うことになり、中浦ジュリアンは、信仰を貫き通し、長崎で殉教します。華丸のお話は、その17年後に起こったことです。
天正遣欧少年使節は、様々な技術をもたらしたと言われていますが、アラビア馬と西洋獣医師も一緒に帰国しており、これが西洋獣医師の初来日になるそうです。当時の日本の馬は、体高130センチ程度で、来日したアラビア馬は、体高150センチもあり、京都に使節団が上洛した時は、人々に大変なインパクトを与えたそうです。
最後に、獣医師の先生方と華丸さんのお墓で記念写真を撮らせて頂きました。長い歴史の中で、様々な人生や動物達の生涯が、連綿と続いて来ています。中でも、人と動物の幸せを支える役割の中心にあるのが、獣医師の方々であると改めて思いました。そのような想いを込めての一枚です。
*お参りに行かれる方へ* 本経寺の墓所は国指定史跡で貴重な文化財です。 墓参される方は、原則として本経寺事務所の受付で許可を頂いて下さい。また、団体での墓参は事前にお寺の許可を受け、墓参時には責任者の住所・氏名・電話番号などを記帳して下さい。本経寺の墓所には藩主の墓などの巨大な墓石群が並んでいます。巨大な墓石の下部の石段などに登るなどの行為は慎んで下さい。旧い灯籠などは倒れ易く、史跡破壊や大怪我などの事故が起こる可能性がありますので十分に注意して下さい。 |